日曜の朝からそんな面白い話しないでください!『ボクらの時代』女流作家の話が面白い!
日曜の朝7時から、様々なジャンルで活躍する3名によるトーク番組『ボクらの時代』。
6月2日に放送した『ボクらの時代』に女流作家の川上三映子、山内マリコと本をこよなく愛する芸人として又吉直樹が出演していた回。 日曜の朝だというのに、いろいろと共感するところもあり、かなり真剣に見入ってしまいました。
何がそれ程面白かったかと言うと女流作家たちが子供のことや、お金のことなど結構突っ込んだ話が興味深かったのです。
書くとき
ひとつの短編80枚ぐらいを2日間ぐらいで仕上げてしまうという。時間がないため、締め切り前にものすごい集中力で書き上げてしまうとか。 プロの作家さんってそんなことができるのかと恐れ入ります。
構想について、川上は頭の中に完璧に出来上がっているのだというのだが。
書いてみるとイメージ以下にしかならない。イメージがあるけど、選ぶことができない。
この感覚に共感する絵描きも多いのではないかとおもいます。
描く前にはすごいいい絵が描ける気がするが、描き始めると絶望する。 イメージを実現する技術がないのか、センスがないのか。そもそもイメージが悪かったのかと。
私もよく和紙をこれでダメにします。だから小下絵を作れという話なのですが。
育児・執筆活動
作家の川上は同じく芥川賞作家の阿部和重と結婚して出産をしている。 出産直前、そして破水してからもiPhoneで執筆していたというから驚きである。
お腹の中に子供がいた時は、体一つだから書くことはできたし、出産直後も書くことができた。 赤ちゃんが動けるようになってくると目が離せなくなり、いつ次の長編を書くことができるのかわからなく、つらい。
出産し子供ができた今しか書くことができないものがあるのではないかと思っている。 その一方で子供が小さな、見つめあえるすばらしい時期は今しかないのだから、仕事をするのは間違っているのではないか。
子供ができたことによって、子供を題材に用いる小説家、漫画家も多数いらっしゃいます。 その時期、そのタイミングでしか書くことのできない鮮度というものがあるのかもしれません。
子供のいない人生について
子供をもつこと、もたないことについて作家らしい視点で話されています。
子供をもってしまったら見れない風景があるのではないか。好きな小説家、表現者、哲学者にほとんど子供がいない。子供という特別な他者をもたないことで 磨き抜かれる視線というのがあるのではないか。
お金のこと
みんな興味あるのが、作家さんって儲かるの?儲からないの?といったところなのですが、 川上、山内両名の名前を知られているような女流作家であったとしても、けっして儲かってはいないようで、創作活動の分野はどこも似たり寄ったりということでしょうか。
原稿料だけではまったく食べていけない。ただ、仕事なりバイトなりしていると全く書けなくなってしまうので、専業でやっている。だが儲かってはいない、ワーキングプアのようだ。
お金のことを考えると、純文学は成立しない。だからお金のことはみんな見ないようにしている。
まさにアートと同じで見ないようにしている、腫れもののように。
作家という幻想
もともと不況に生まれてきた人が勝ち進んでいく欲がないのと一緒で、作家、小説家というプライド、幻想がない。
山内は『作家』という仕事自体が恥ずかしいと考えているようだ。というのも、作家として、自分の個人的な思いを書いて、それを世間に発表しているからだという。
その思いに絵描きは多かれ少なかれ共感するのではないかと思う。絵を描くこと自体が社会のシステム、サイクルとは無関係の非常に個人的なものなのだから。
それに対して川上は恥ずかしさがなくなってきたのだという。
自分のことを知ってほしいという自意識の延長として、フィクションを作るという行為があるのではなく、自意識とは自分から最も遠いところにある行為で、自分でも味わったことのない感情とか、知らなかったことに出会えるかもしれない創作であるのだから。
非常に共感する部分や、言語化できない部分を言われてみれば、そうかもしれないと教えられるところなどがありました。
小説家と絵描きではもちろん違ったフィールドに立っていますが、社会からの立ち位置や物事、制作活動に対する感じ方は決して遠くないように思います。